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日本ソロー学会 The Thoreau Society of Japan

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■ 2012年度全国大会プログラム 

Posted on 06:44:35

日 時  2012年10月12日(金) 11時30分より受付

場 所  中京大学名古屋キャンパス 0602教室
(0号館(センタービル)6階)

名古屋市昭和区八事本町101-2

総合司会 佐久間 みかよ 氏(和洋女子大学)

開会の辞(11時55分)       会長 松島 欣哉 氏(香川大学)

研究発表(12時00分〜14時50分)   司会 堀内 正規 氏
(早稲田大学)

1. 近代日本作家のエマソン・ソロー受容

  発表 藤田 妙子 氏(創価大学(院))

2. Walden の中の fable の再考

  発表 土井 由未子 氏(佛教大学修士課程修了)

          休憩(13時20分〜13時30分)

3. 現代先進国で「森の生活」を始める方法 ―日本とアメリカを中心に―

  発表 高村 友也 氏(慶應義塾大学)

4. アメリカン・ルネッサンスと翻訳研究の現在

  発表 古屋 耕平 氏(和洋女子大学)

          休憩(14時50分〜15時00分)

シンポジウム(15時〜17時)       コーディネーター・司会 
高橋 勤 氏(九州大学)

テーマ  ニューイングランドの変容とアメリカン・ルネッサンスの文学

1. 市場経済と創造過程――ソローとディキンスンの比較

  講師 江田 孝臣 氏(早稲田大学)

2. アメリカン・ルネッサンスと埋葬――エマソンを中心に

  講師 成田 雅彦 氏(専修大学)

3. アメリカ哲学におけるソローの不在:『ウォールデン』を「高度な意味で読む」

  講師 齊藤 直子 氏(京都大学)

          休憩(17時00分〜17時10分)

特別講演 (17時10分〜18時10分)   司会 伊藤 詔子 氏(広島大学名誉教授)

演題  ソローとの対話が拓いた道: keeping“the polestar”in my eye

  講師 藤岡 伸子 先生(名古屋工業大学)

閉会の辞(18時10分)     副会長 小倉 いずみ 氏(大東文化大学)

総会(18時15分〜18時45分)      司会 真野 剛 氏(松山大学)

                                          

懇親会(19時〜21時)      司会 竹野 富美子 氏(名城大学・非)

会場 中京大学名古屋キャンパスセンタービル2F カフェテリアプレジール(会費:5,000円)

   名古屋市昭和区八事本町101-2(052-835-7111、内線3250):

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■ 2012年度日本ソロー学会全国大会レジュメ 

Posted on 06:39:48

I. 研究発表要旨


1. 近代日本作家のエマソン・ソロー受容


創価大学大学院 博士後期課程3年 藤田 妙子


  R.W.エマソン,H.D.ソローは,近代日本の文人・知識人に大きな影響を与えた。本発表では,キリスト教思想家の内村鑑三と,その弟子で作家の志賀直哉をとりあげる。特に彼らの自然観に着目し,そこにどのようなエマソン的・ソロー的影響がみられるかを探りたい。


  内村鑑三はアメリカ留学時代にその自然観を深め,自然と人間精神の一致という考えを抱くにいたるが,そこにはエマソンからの影響を跡づけることができる。帰国後に発表した『基督信徒の慰』,『代表的日本人』では,その自然観がさらに深まり,自然との一体化を可能にする人間の善性・徳性が前面に打ち出されるようになる。


  一方,志賀直哉は20代の7年間を,師・内村鑑三のもとに親しく通うが,やがて人間の本能を卑しめる宗教に反発して去っていく。同時期,志賀の手帳には「トロー」や「ワルデン」等の記入があり,本能をも讃えるソローへの共感が見てとれる。後に作家として立った志賀は,卓越した描写力で小動物の生き生きした生態をとらえていく。そこには野生の生命力やその荒々しさ,人間と対等の立場にたつ小動物,家族愛などが描かれており,『ウォールデン』の自然描写と幾つもの点で重なりが見られるのである。


 


2. Walden の中の fable の再考


土井 由未子


本発表の目的は、ソローがWaldenで用いた有機的な形式を調べることである。主張したい点は以下である。1. ソローは寓話を研究するかたわら、森で自然を観察した。2. ソローは文学の形式を発見した。それは寓話の形式である。3.「動物の隣人たち」の章で、身近な動物と寓話の関係を述べる際に、彼は寓話の形式で考察した。寓話の形式は、動物などの自然と人間の思想がむすびつく有機的な形式である。4. 詩文は寓話の形式で書かれている。5.ソローは自然を観察し、「事実」を科学的な観察で語った。「本当の意味」、「真実」を詩的な寓話で語った。「物事の本質」や「人間の生き方」を散文的な寓話で語った。6. 寓話の形式は古くから存在し、彼自身の考えに合う文学の形式である。


  ソローは自然と彼の思想がむすびつき、時と場所を超越する形式、アメリカの野生を表現する形式を求めた。それが寓話の発見につながった。彼は科学的な観察で「事実」を語るとともに、近代科学が見えにくくした「生命」や「象徴的な意味」、そして「物事の本質」や「人間の生き方」を寓話の形式を使って表現した。今回の発表は寓話に焦点をあて、ソローが求めた有機的な形式を以上の視点から考察する。


 


3. 現代先進国で「森の生活」を始める方法 ―日本とアメリカを中心に―


慶應義塾大学 高村 友也


現代の日本で、「森の生活」(森でなくともどこかに安く小屋を建てて暮らすこと)を始めるためには、どうすればいいか、経験を交えながらお話します。評価額の安い土地はたくさんありますが、売りに出されていることは滅多にないという土地流通事情について。建築確認や建築基準法を回避して、素人が小屋を建てるための予備知識について。少ない予算でライフラインの問題を解決してオフグリッド(独立型)とする方法について。固定費を減らして自由に暮らすための法制度上の知識について。


  アメリカで話題になっている小型住宅志向「スモールハウスムーブメント」についても触れたいと思います。脱所有や脱消費がムーブメントのキーワードになっています。「小さな家は建てるべからず」という法的・社会的圧力に対して、様々な手段を講じてミニマムな暮らしを獲得しようとする行動は、一種の市民的不服従と言えると思います。


 


4. アメリカン・ルネッサンスと翻訳研究の現在


和洋女子大学 古屋 耕平


アメリカが国家としての同一性を確立してゆく過程において、翻訳は大きな役割を果たした。独立期から19世紀にかけて、政治、歴史、科学、哲学、宗教、文学の分野では、多くの著作家が外国語に通暁し、様々な形で翻訳作業に携わっている。翻訳家たちのリストは、例えば、Benjamin Franklin, Thomas Jefferson, John Quincy Adams, James Fenimore Cooper, Washington Irvingなどの著名人を含んでいる。そして、Ralph Waldo Emerson, Margaret Fuller, Henry David Thoreau, Herman Melville, Nathaniel Hawthorne, Walt Whitmanといった、アメリカン・ルネサンス期の作家たちも、それぞれ独自の方法で、直接的あるいは間接的に、翻訳に関わっている。しかしながら、従来のアメリカ文学研究においては、翻訳の重要性はあまり注目されてこなかった。だが、近年では、transnational, transatlantic, transpacific, postcolonial, postnational, hemispheric, planetaryといった視点からの、アメリカ文学の再検討が盛んに行われ、その中で、アメリカ文学成立の過程に翻訳が果たした役割についても新たな光が当てられるようになりつつある。この翻訳の問題を考える上で、やはり過去20年ほどの間に発展した、Gayatri Chakravorty SpivakやLawrence Venutiなどによる翻訳の政治的・文化的考察が重要な理論的ツールを提供している。本発表では、以上のような文学研究の流れを概観し、近年の翻訳研究の成果の、アメリカン・ルネッサンス期の文学作品研究への応用の可能性について、歴史的・理論的な面から論じてみたい。


 


II. シンポジウム要旨


テーマ  ニューイングランドの変容とアメリカン・ルネッサンスの文学


 


1. 市場経済と創造過程――ソローとディキンスンの比較


早稲田大学 江田 孝臣


 Whitman: The Political Poet (New York: Oxford UP, 1989)で知られるBetsy Erkkilaは、Vivian R. Pollak編のA Historical Guide to Emily Dickinson (New York: Oxford UP, 2004)に寄せた論文"Dickinson and the Art of Politics" において、Dickinsonを「本質的に保守的な伝統の、すなわち、ジェファソンが大統領に選出された1800年の民主主義〈革命〉で支持を失った後期フェデラリスト的な精神と感性の機知に富む雄弁な代弁者だった」(Historical Guide 137)とし、詩を出版しなかったことについては「彼女の出版拒絶は、私的な行為ではなかった。それは、商業化され、民主化され、なおかつ、ますます雑多となり大衆化される全国市場に対する、社会的階級的な抵抗行為であった」(150)としている。


 本発表では、ErkkilaのDickinson論に依拠することによって、アメリカ資本主義(商品経済、市場経済、産業革命、帝国主義、民主主義)の発達に対するDickinsonとThoreauの反応を比較し、なかでも商品経済の発達がいかに彼らの創造過程(想像力)をめぐるヴィジョンを侵害したかを、贈与論を援用しながら論じる。


 キーワードは"telegraph"と"ice trade"。Thoreauの作品では、"Economy"と"The Pond in Winter"を、Dickinsonでは、"I' m Nobody! Who are you?" (Fr 260 / J 288), "Much Madness is divinest Sense -"(Fr 620 / J 435), "Publication - is the Auction "(Fr788/ J 709), "Some - Work for Immortality -"(Fr 536 / J 406), "The Lightning playeth – all the while - "( Fr 595 / J 630), "Myself can read the Telegrams "( Fr 1049 / J 1089)を取り上げる。


 


2. アメリカン・ルネッサンスと埋葬――エマソンを中心に


専修大学 成田 雅彦


 ローレンス・ビュエルは、現代のエマソン批評はエマソンを「非超絶主義化する」方向に向かっていると述べた。新歴史主義の出現以来、アメリカ文学を歴史化し具体的な社会変動の中に位置づけて、テキスト中に新たに発掘される様々な歴史的文脈の意味を論じるのは現代の大きな潮流である。しかし、私はエマソンをもう一度「超絶主義化」してみたい。その神秘主義が出て来るところの根を初期のエマソンに戻って考え、ニューイングランドの社会的変容というよりも、その精神的変容の生じた光景を再検討したい。手掛かりにしたいのは、「埋葬」である。アメリカン・ルネサンス文学では、ポーをはじめ埋葬を描いた作家は多く、それはあたかもこの時代に埋葬のイメージが取り憑いたかのようである。そして、その埋葬はしばし破綻する。埋葬されていたものが覆いをこじ開けて蘇るわけだが、私にはそれがこの時代の「変容」を解く重要なカギに思われる。エマソンは、埋葬のイメージを文学的に多用することはなかった。しかし、この思想家はある埋葬をいわば「生きた」のである。この発表ではエマソンの妻の埋葬のエピソードを入り口として、「主の晩餐」の説教と牧師をやめて唯心論者になっていくエマソンを精神史との関連の中で捉えなおしてみたい。


 


3.アメリカ哲学におけるソローの不在:『ウォールデン』を「高度な意味で読むこと」


京都大学 齊藤 直子


 本発表では、ソローの超越主義思想を「夜明けの哲学」(philosophy of morning) (Cavell 2005)として復権させる現代アメリカの哲学者スタンリー・カベルによる『ウォールデン』再読解の著『センス・オブ・ウォールデン』(2005/1992)の読解を試みる。これを通じて『ウォールデン』を「高度な意味で読むこと」(Reading in ahigh sense) (Thoreau 1992, p. 71)が、哲学を日常性に連れ戻す哲学の再構築の作業であり、広義の翻訳としての言語の媒介によって達成され続ける「下向きの超越」(transcendence down) (Standish 2012, p. 25)思想であることを明らかにする。それによって、ソローの超越主義を、内向性、私秘性、個人主義、自己修養、自然賛美、文明批判、環境主義などの観点から読み解く言説から解放し、単独性と隣人性に依拠した広義の政治生活を実践する哲学、そして「アンコモンスクール」における「大人の教育しての哲学」(philosophy as the education of grownups) (Saito and Standish 2012)としてとらえ直す。


 


Cavell, Stanley. 2005. Philosophy the Day After Tomorrow (Cambridge, MA: The Belknap Press of Harvard University Press).


カベル、スタンリー (2005)『センス・オブ・ウォールデン』(斉藤直子訳)(法政大学出版局)(Stanley Cavell, The Senses of Walden [Chicago: The University of Chicago Press, 1992.])


Saito, Naoko and Standish, Paul (eds). 2012. Stanley Cavell and the Education of Grownups (New York: Fordham University Press).


Standish, Paul. 2012. “Pure Experience and Transcendence Down.” In Education and


the Kyoto School of Philosophy: Pedagogy for Human Transformation (eds) Paul Standish and Naoko Saito (Dordrecht: Springer, 2012).


Thoreau, Henry, D. 1992. Walden and Resistance to Civil Government, ed. William Rossi (New York: W. W. Norton & Company, 1992).


 


III.  特別講演要旨


演題  ソローとの対話が拓いた道: keeping“the polestar”in my eye


名古屋工業大学 藤岡 伸子


  ソローの文学的世界には、17世紀西ヨーロッパに発する近代主義といかに的確に対峙し、またいかにそれを乗り越えて次のフェーズに至りうるのかという、近年ますます切実に現代社会の関心を惹きつける一つの問いが、堅い核として存在する。


  ソローの世界が核として持つこの問題意識と、比較文化研究者としての私自身との長年にわたる対話は、ソロー研究とは何の関わりもないように見える領域にも私の研究を大きく越境させてきた。そうした越境は言うまでもなく、ソローが厳然と指し示す先へと、おずおずと向かった結果である。その先には、例えば、アーツアンドクラフツ運動のウィリアム・モリスや民藝運動の柳宗悦、日本アルプスの生みの親・小島烏水などがおり、ソローを離れて出会ったはずの彼らもまた、時にソローの名を口にする人々であったことをやがて知ることになる。こうして得た「文化研究の広野でソローをめぐる遍路を続けてきた」という感覚は、個人的なものでもあるが、学術的な検証にも十分に耐え、ソロー研究に新しい視点を提供し得るものではないかと考えている。ソローが提示した世界観の広がりや奥行きを、このような比較文化研究の視点から改めて俯瞰してみたいと思う。

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■ 2011年度日本ソロー学会全国大会レジュメ 

Posted on 18:47:26

 


2011年度日本ソロー学会全国大会レジュメ


 


I. 研究発表


1.            Housekeeping と教育――Louisa May Alcott の Little Women 三部作を中心に


本岡 亜沙子 氏(広島経済大学) 


 


歴史家Christine Stansellによれば、19世紀アメリカにおける家事使用人の仕事は、社会的地位や給与の低さなど、複合的な要因により、女性に経済的自立をもたらす職とは言い難いものであった。


19世紀の女性につきまとう自活の困難さを念頭に置くと、Louisa May Alcott の Little WomenLittle MenJo’s Boysの三部作で、社会的な成功を手離し家庭内での家事労働に自己実現を求めた Jo に対する批評家の評価は概して手厳しかったと言える。とりわけ Elizabeth Lennox Keyser は、結婚によって Jo が女性の伝統的な領域のなかに閉じこもったと酷評した。


 もっとも、Jo の家が暮らしの場であると共に、他人が出入りする教育現場でもある点を併記しなければ公平さを欠くことになるだろう。ジョーの家は社会から切り離された私的な場である一方で、孤児たちを教育し社会へと送り出す公共性を帯びた教育機関でもあるからだ。つまりこれは、フェミニストには女性の人生のゴールに思えた Jo の家庭に、社会へと広がる契機が隠されていることを意味する。従って、本発表で考察していくべきは、家という閉域に自ら閉ざしたかに見えた Jo が、そこで新たに開始した教育活動の方となるだろう。


 そこで本発表では、Jo とその夫 Fritz Bhaer が教育活動をする上で重視した家事労働と教育に注目し、その教育法の特殊性や社会的な機能を考察した上で、Bhaer(ベア) Garten(学園) 物語の再評価を目指したい。 


 


 


2.            ウォールデンとシエラ・ネヴァダにみるマイノリティーの再発見


真野 剛 氏(広島国際学院大学)


 


ウォールデン湖畔における実験生活の記録を綴ったWalden (1854) は、個人の体験を通して、生物の本質(衣・食・住)を大衆に再認識させた。ネイチャーライティングの原典とも言える地位を確立し、エコロジー思想を喚起した同書は、環境批評として研究対象にされる傾向が強い。その一方で、周知の通り、同時期のソローが奴隷制に対して深い関心を抱いていたことからも分かるように、同書にも奴隷であった者たちを始めとして広義的なマイノリティーたちの存在が描かれている。


 本発表では、マサチューセッツにおけるネイティブ・アメリカン史を概観した上で、“Former Inhabitants; and Winter Visitors”の章で語られるウォールデン湖畔に住む先住者たちにスポットをあて、racismに対するソローの姿勢を再認識する。奴隷制に対する賛否が南北戦争という全米を分割した戦いへと発展することになった時代、ソローはいかにマイノリティーたちと向き合ったのだろうか。また、同じく悲劇的史実に翻弄されたジョン・ミューアが最終的にたどり着いた西部のシエラ・ネヴァダにも着目する。市街地に生活拠点を得られない者たちの居住区として存在した森林/山々の実態を、ウォールデンとシエラ・ネヴァダを中心に考察していきたい。


 


 


II.    シンポジウム 震災後に読むアメリカン・ルネサンス                  


1.         斜めに前を向くこと――Fate, Nature, Experience


堀内 正規 氏(早稲田大学)


 


 〈震災後〉の眼で読み直したとき、エマソンの場合は何が中心的な問題になるだろうか? おそらく、災厄の可能性を前にした心がまえ、愛する者との唐突な死別の悲しみ(〈断ち切られ〉)に対する心的な態度が焦点になるだろう。この発表で私は、まずいわゆる「後期エマソン」の代表作“Fate”をとりあげ、エマソンの言う「完璧な解決」の妥当性について検討してみる。次に「初期エマソン」の代表作Natureに戻って、この観点からエマソンのミスティックな経験の効用について考える。最後に自らの息子との〈断ち切られ〉の乗り越えとして書かれた代表作“Experience”から、エマソンならではの「斜め」の姿勢を読みとりたい。深い悲しみ(あるいは絶望)に対するエマソンの処方箋は、どういうときと場合に、どの程度有効なのだろう、あるいは無効なのだろう。〈エマソンその人〉への敬意や尊重の念を失うことなく、しかし手前味噌のようにならずに、何が読みとれるかを虚心に、だが素朴にではなく語りたい。


 


 


2. 〈ブラックウォールデン〉とソロー


   ――Paradise (To Be) Regainedに始まる改革思想との関連を中心に


伊藤 詔子 氏(松山大学)


 


2011年5月5日、朝日新聞「天声人語」は、福島第1原発事故による放射能汚染の苦境と事故の遠因に関し、適切にも悲劇の飯舘村についての本、柳生博『までいの力』に関連して「『までい』の教祖のような、19世紀米国のソローの物質文明を問うた名著『森の生活』」を引用した。また別の日には井伏鱒二の『黒い雨』を引用し、人間の技術が自然を裏切り、いかに放射性降下物を<恵みの>黒い雨として降らせ人々を死に追いやったかを指摘していた。事故当初より、フクシマとヒロシマが66年を超えて同じ歴史の轍で繰り返されたことが多くの人に想起され、指摘されてきた。


日本の戦後の復興を早めるエネルギー政策として導入された原発推進に対し、同じように独立戦争後、改革の急がれた19世紀前葉のアメリカにあって書かれたソローの書評「楽園回復」(Paradise (To Be) Regained, 1843)が、時代と場所を超えてなお心に響くことは驚きである。今では広く浸透しているソローの簡素な生活を勧める思想には、しかし宗教的な改革思想、それも予言者イェレミアの激しい思想があることも重要である。コンコードの奴隷制度の歴史解明の本、Elise Lemire Black Walden: Slavery and Its Aftermath in Concord Massachusettsは、18世紀独立戦争後の解放奴隷の状況や、ソローが描いた湖畔に逃れた黒人たちが、どのような人たちであったかを明らかにした。本論はソローの「楽園回復」に始まるantislaveryに捧げられた改革思想が、40年代から50年代、7段階を経た『ウォールデン』生成プロセスの中でいかにテキストに流れ込み、特に『ウォールデン』のrunaway-slave”、独立後解放されたex-slave”に関する<ブラック・ウォールデン>記述とどのように関連しているのかを考察したい。


 


 


3.            痕跡と文学――The Encantadas第八スケッチをめぐって


橋本 安央 氏(関西学院大学)


 


“The Encantadas, or Enchanted Isles”は、ハーマン・メルヴィルが1854年、文芸誌Putnam’s Monthlyに掲載し、その2年後、作品集Piazza Talesに収録した、10篇の「スケッチ」からなる短篇作品である。表題を文字どおりに訳せば、「魔法にかけられた島々」という意味であり、ガラパゴス諸島を舞台とした連作の体をなしている。ダーウィンのBeagle号から遅れて6年後、作家になる前の作家が捕鯨船Acushnet号に乗り組み、1841年にかの地に立ち寄った際の記憶、および適宜改変を施しつつ、さまざまな文献に依拠するという、メルヴィルの典型的な執筆スタイルが採用されている。


その第8スケッチは、“Norfolk Isle and the Chola Widow”と題されており、かの地の孤島で夫と弟を喪った、混血女性Hunillaの受難、絶望、忍耐、受容をめぐるものである。彼女が男たちの水難事故を目撃する場面は、演劇的、絵画的な喩えをつうじて綴られるのだが、それはどうしてなのだろう。そしてまた、そのような描写上の特徴が、彼女のその後の喪失感に、いかに接続するのだろうか。生と涙の痕跡は、どのようにえがかれているのか。そうしたところを手がかりにして、このスケッチを読んでみたい。


 


 


4.  詩はThe Wound-Dresserになるのか?――Walt Whitmanと南北戦争


梶原 照子 氏(明治大学)


 


 震災が文学研究者の私に突きつけた「文学は現実の悲惨さに対して無力なのか」という問いは、南北戦争に直面したホイットマンが詩人としての存在意義をかけて応えようとした問いのように思える。おそらく南北戦争中に書きため、戦後直ちに出版されたDrum-Taps (1865)とSequel to Drum-Taps (1865-66)、Leaves of Grass (1867, 1871, 1876, 1881, 1891)のなかで再編成された“Drum-Taps”を検証し、ホイットマンの苦闘を通して、問いへの答えを探りたい。スタイルも主題も統一感のないDrum-Tapsは、詩人の混乱だけでなく、戦争の悲惨な現実にどのように向き合い詩を書くか模索した軌跡を残している。戦争初期に開戦を熱狂的に迎えた民衆を鼓舞するかのような“Beat! Beat! Drums!”から、断片的な瞬間を写し取るジャーナリスティックな手法で、リアリスティックに戦場の個々の兵士を照射した“A March in the Ranks Hard-Prest, and the Road Unkown”などを経て、戦争体験を集約した“The Wound-Dresser”に到る。1862-65年の間に軍事病院に通いつめ十万人近い兵士を慰労した経験が、Drum-Tapsとくに“The Wound Dresser”を生みだしたと言ってもよいのだが、ここで留意したいのは、詩人の実体験を自伝的に記録したかのようなリアリティに溢れながら、“The Wound Dresser”の語り手の看護師としての姿は、訪問者、同伴者にすぎなかったホイットマンの病院での実像とは異なる点である。「傷」を前景化、象徴化し、「傷を手当てする人」として詩人像を再生するとき、ホイットマンが癒したかった「傷」とは、国家的かつ個人的なものだった。そのとき、詩は“The Wound Dresser”になるのか?


 


 


III.  特別講演


アメリカン・ルネサンスの女性作家たち――忘れられたフェミニズム小説を読む――


大井 浩二 先生(関西学院大学名誉教授)


 


女性作家が扱われていないという理由で、F.O. Matthiessen, American Renaissance (1941)に異議を申し立てたのは、Sensational Designs (1985) の著者Jane Tompkinsだった。それから20年後に書かれたSusan Cheever, American Bloomsbury (2006)は、その副題Louisa May Alcott, Ralph Waldo Emerson, Margaret Fuller, Nathaniel Hawthorne, and Henry David Thoreau: Their Lives, Their Loves, Their Workが示しているように、アメリカン・ルネサンスの主要な男性作家のリストに2人の女性作家を加えることで、Tompkinsの不満を解消しようとしていると言えるかもしれない。この講演では、American Renaissance はもちろん、Sensational DesignsAmerican Bloomsburyのいずれにも登場しないという意味で「忘れられた」3人の女性作家を取り上げ、それぞれの代表作とされるフェミニズム小説3冊を紹介することにしたい:  


Elizabeth Oakes Smith (1806-1895), Bertha and Lily: Or, The Parsonage of Beech Glenn (1854).


Mary Gove Nichols (1810-1884), Mary Lyndon: Or, Revelations of a Life. An Autobiography (1855).


Laura Curtis Bullard (1831-1912), Christine: Or, Woman’s Trials & Triumphs (1856).


 


 


 

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■ 2011年度全国大会プログラム 

Posted on 23:59:44

日本ソロー学会 (The Thoreau Society of Japan)2011年度全国大会プログラム

 と き  2011年10月7日(金) 受付11時30分より
    ところ  京都外国語大学 国際交流会館会議室(9号館4階)
         京都市右京区西院笠目町6

                    総合司会  小野 美知子 氏(岩手医科大学)
開会の辞(12時20分)          会長  松島 欣哉 氏(香川大学)

研究発表(12時30分〜13時50分)   司会 白川 恵子 氏 (同志社大学)
 1. Housekeeping と教育――Louisa May Alcott の Little Women 三部作を中心に
                        発表 本岡 亜沙子 氏(広島経済大学)
 2. ウォールデンとシエラ・ネヴァダにみるマイノリティーの再発見
                        発表 真野 剛 氏(広島国際学院大学)

シンポジウム(14時〜16時)       コーディネーター 堀内 正規 氏(早稲田大学)
       「震災後に読むアメリカン・ルネサンス」                   
 1. 斜めに前を向くこと――"Fate," Nature, "Experience"
                        発題 堀内 正規 氏
 2. 〈ブラックウォールデン〉とソロー
   ――"Paradise (To Be) Regained"に始まる改革思想との関連を中心に
                        発題 伊藤 詔子 氏(松山大学)
 3. 痕跡と文学――"The Encantadas"第八スケッチをめぐって
                        発題 橋本 安央 氏(関西学院大学)
 4. 詩は"The Wound-Dresser"になるのか?――Walt Whitmanと南北戦争
                        発題 梶原 照子 氏(明治大学)

特別講演 (16時10分〜17時10分)   司会 藤田 佳子 氏(奈良女子大学名誉教授)
  「アメリカン・ルネサンスの女性作家たち――忘れられたフェミニズム小説を読む――
                     講師 大井 浩二 先生(関西学院大学名誉教授)

閉会の辞              副会長  小倉 いずみ 氏(大東文化大学)

総会(17時15分〜17時45分)      司会  幹事 真野 剛 氏
                                          
懇親会(18時〜20時)           司会  塩田 弘 氏(広島修道大学)
会場 京都外国語大学11号館2階ラウンジにて(会費: 5,500円)
   京都市右京区西院笠目町6 TEL: 075-322-6366

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■ 2009年全国大会プログラム 

Posted on 16:17:07

日本ソロー学会 (The Thoreau Society of Japan)
2009年度全国大会プログラム

と き  2009年10月9日(金) 受付11時30分より
ところ  【研究発表・シンポジウム・特別講演会場】
立正大学大崎校舎 11号館6階 第6会議室
【役員会会場】10時00分〜12時00分
立正大学大崎校舎 11号館5階 第5会議室
東京都品川区大崎4−2−16 TEL 03−3492−8791 (文学部)

総合司会 岩政 伸治 氏(白百合女子大学)
開会の辞(12時10分) 日本ソロー学会会長 齊 藤  昇 氏(立正大学)
会場校挨拶 (12時20分)   立正大学学長 高村 弘毅 氏

研究発表(12時30分〜13時50分) 司会 高梨 良夫 氏(長野県短期大学)
1. The self-made man との比較にみる
Self-Relianceの特異性 瀬上 和典 氏 (明治学院大学・院)
2.“Put all America behind him”: Cape Codに
おける風景と(反)ナショナリズム 山本 洋平 氏(立教大学・院)

シンポジウム(14時〜16時) 「ソロー文学と先住民」
司会 佐藤 光重 氏(関東学院大学)
森と川と記憶――ソローとチャイルドの
インディアン表象 講師 大串 尚代 氏(慶應義塾大学)
ソローと先住民の教育観 講師 小野美知子 氏(岩手医科大学)
ソローの言語観と先住民 講師 高 橋  勤 氏(九州大学)

特別講演 (16時10分〜17時10分) 司会 小倉いずみ 氏(大東文化大学)
「ジョン・ホワイトの描いたインディアンと
新大陸の自然」 講師 増井志津代 氏(上智大学)
閉会の辞       日本ソロー学会副会長 松島 欣哉 氏(香川大学)
総会(17時15分〜17時45分) 司会 佐藤 光重 氏
                                          
懇親会(18時〜20時)         司会 瀧口美佳 氏(立正大学・院)
会場 「ゆうぽうと」6階「紅梅」   (懇親会費 5,000円)
東京都品川区西五反田8−4−13 TEL 03−3490−5111 (JR五反田駅より徒歩5分)

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