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日本ソロー学会 The Thoreau Society of Japan

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■ 2013年度 日本ソロー学会全国大会レジュメ 

Posted on 11:32:09

I.    研究発表
司会 小野 美知子 氏(岩手医科大学)
1 超絶主義者Bronson Alcottの教育観についての考察
 ──現代日本の教育を視野に入れて
水本 有紀 氏(甲南大学(非))

現代の日本では、目まぐるしく変化する社会に対し、子どもたちをとりまく教育環境の改善が課題とされている。このような状況において、文部科学省は知識、道徳、体力から成る「生きる力」の育成を理念とし、知識や技能の習得とともに、自ら学び、考え、問題を解決する能力などを養うことを重視している。この教育理念は、超絶主義者Bronson Alcottが目指した、子どもが自ら学び向上しようとする力を伸ばす教育を彷彿させる。Alcottによれば、子どもの中にはすでに学ぶべきことが神によって植えつけられており、教師は子どもが内包している能力の萌芽を導く役目を担っている。Alcottの教育観の特徴は、個人としての児童の尊さを強調したことにあったが、社会との関わりを顧みない個人主義的教義とは一線を画す。超絶主義の説く個人主義は、個の内で完結してしまうものではなく、社会との相互関係において社会的存在としての個を尊重するものであり、このことはAlcottが道徳教育を重視した点にもつながる。本発表では、「生きる力」をはじめとする現代日本の教育課題を視野に入れながら、Bronson Alcottの教育思想を自己教育、道徳教育という観点から再評価したい。

司会 高梨 良夫 氏(長野県短期大学)
2 終の逍遥:ソローの歩いたケープ・コッド
山田 久美 氏(久留米工業大学)

 ソローが岬へ向かったのは、1849年、1850年(この2回はチャニングと同行した)、そして1855年、1857年と、総計4度にも及ぶ。つまり、コンコードという生誕の地に終生、確たる軸足を置いていたソローにとって、郷里を離れての「旅」という観点から見れば、このケープ・コッドこそ最多の訪問地であったと結論できる。初回1849年の旅は、ソロー哲学の頌徳碑ともいうべき「市民の不服従」が発表され、また大切な姉ヘレンを失った忘れ難き夏の後であったし、2度目となった翌年のケープ訪問は、そのままファイヤーアイランド沖で溺死したマーガレット・フラー一家の遺品の海岸探索と期を同じくするものであった。さらに、『ウォールデン』発表の翌年、ソローは『コッド岬』の一部を刊行して3度目にかの地を再訪した。そうして、最後の1857年という年には、奴隷解放論者ジョン・ブラウンと出逢い、メインの森への3度目の旅行の後に、一人でこの岬を歩いている。
 このように、ソローの人生録に忘れ得ぬ頁を刻んだはずの出来事の数々が4たびのケープ・コッド行きと結びついたのは単なる偶然の結果であろうとは思えない。『コッド岬』という作品については多くの優れた先行研究があるのだが、本発表では、これまで触れられて来なかった旅の真意を探ることに焦点を当てたい。

司会 高梨 良夫 氏(長野県短期大学)
3 もう一つの文明論邦訳
 ──エマソン受容史の最初期にみる
慶應義塾大学名誉教授 山本 晶 氏

 エマソン晩年の14〜5年は、文明開化に邁進する維新時代の初期に相当し、エマソンは「現代」の(今から見れば「同時代」の)思想家であった。
 一般にエマソン受容は明治27(1894)年に発行された透谷・北村門太郎の『エマルソン』をもって嚆矢とするが、それは文壇史に有名な逸話であって、むろん同書に至るまでには前史があったわけである。
 まず日本最初の原典出版は明治15年、16年(1882−83)に東京大学が発行した教科書2冊で、第1冊の刊行年はエマソンの歿年にあたり、第2冊の巻頭を「文明」が占める。両書は1876年のボストン版が底本と推定される。
 つぎにエマソンの本邦初訳は、文明論の本邦初訳でもあって、会津人の考古学者、千里・佐藤重紀が明治23(1890)年4月に刊行した。
 実はその直前の3月、「謙堂」なる人物が同じ作品を「開化」と題して訳了にしていたのである。その原稿が、幕政時代は徳島藩士で昌平黌に学び、維新の時代には内務省などに出仕した漢詩人にして洋学者、雲外・?鋭一(天保4−明治28、1833−95)の原稿3点と共に保存されていた。
 邦訳の「開化」原稿には、前述した東大版教科書の第2冊、または前述したボストン版に依拠したであろう顕著な特徴が見られる。他方、該原稿の文体は佐藤訳と同様に、当時漢籍の素養豊かな文人がよく用いた和漢混交文、乃至、漢文訓読体であるものの、手法は対照的に全く異なる。
 かかる考察はまた、外山正一、中村正直、神田乃武、高田早苗、三上参次、徳富蘇峰、島崎藤村、東海散士、廣澤安任、福澤諭吉、謙堂と号した植村正久や松本仁吉、さらに戸川秋骨そのほか多数の人士と関わることになろう。


II.    シンポジウム     
コーディネーター 小澤 奈美恵 氏(立正大学)
テーマ  探検記録文学とアメリカ先住民──ソローとアメリカ文学への影響

1.  植民地時代の先住民とピーコット戦争(1637)
講師 小倉 いずみ 氏(大東文化大学)

1630年にジョン・ウィンスロップが率いた大移住でボストンを中心としたニューイングランド地域は、英国による新大陸での植民地経営を軌道に乗せた。英国が設立したマサチューセッツ湾植民地、プリマス植民地、コネチカット植民地、ニューヘイヴン植民地は1637年にインディアンの有力部族であるピーコット族と戦争を行なった。実際の戦闘期間は短いが、この戦争は英国からの移住者が団結してインディアンと戦った最初の戦争である。
英国の支配権を大きく広げたピーコット戦争は、アメリカ先住民が先祖伝来の土地を失う端緒となった。本発表は新大陸における土地所有の概念、ピーコット戦争の解説文書、戦争の歴史的解釈を検討することにより、当時の英国の植民地の協力関係と先住民との交渉をさぐり、先住民の排除につながった要因を検討する。


2.  ワシントン・アーヴィングと先住民の関係
講師 瀧口 美佳 氏(立正大学(非))

ワシントン・アーヴィングは17年間のヨーロッパ滞在経験や代表作The Sketch Bookの大半がイギリスを扱った短編・随想であったため、ヨーロッパに偏った作家との印象をぬぐいきれないが、アメリカについての作品も数多く生み出した。その代表作としては、前出のThe Sketch Book 中の“Rip Van Winkle”や“The Legend of Sleepy Hollow”、ヨーロッパから帰国後に出版されたA Tour on the Prairies、ビーバー取引で巨大な富を築いたジョン・ジェイコブ・アスターについて書いたAstoria、そして西部先住民の明確な記録として価値が認められているThe Adventures of Captain Bonnevilleなどがあげられる。本発表では、The Sketch Bookに収められた先住民を描いた作品“Traits of Indian Character”と“Philip of Pokanoket”に着目し、アーヴィング文学の前半期における先住民の描き方を論じ、アーヴィングと先住民の関係について考察してみたい。


3.  植民地時代の記録文学──ソローへの影響
講師 小澤 奈美恵 氏(立正大学)

 ソローの「インディアン」への執着は周知のことであるが、本発表では、ソローの先住民観に影響を与えたと思われる三つの植民地時代の文書を検証する。
特に、後期の作品『メインの森』の中で言及されている三つの文書に絞って、それぞれがソローに与えた影響を考察する。一つ目は、ドイツ系プロテスタントの出版者、テオドール・ド・ブライが世界の探検記録をヨーロッパに伝えた『紀行文集』(Collectiones Peregrinationum in Indiam, Orientalem et Occidentalem 1590〜1634年)の中に描かれる新大陸の異教徒としての先住民像、二つ目は、探検家、ジョン・スミスの1614年の報告書『ニューイングランドの記録』(Description of New England)で伝える新大陸の労働力としての先住民像、三つめは、1722〜23年にイエズス会のセバスチャアン・ラール神父が『イエズス会通信』(Jesuit Relations) で伝えたメイン州のアベナキ族の描写である。そしてこのラール神父を通じて、ソローは20世紀の作家ウィリアム・カルロス・ウィリアムズとも繋がっていく。


4.  ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの『アメリカ人気質』
──ソローとの接点を求めて
講師 余田 真也 氏(和光大学)

 異なる時代を生きたWilliam Carlos WilliamsとHenry David Thoreauとのあいだには、アメリカ先住民に対する関心を記した作家という共通項があるが、植民地時代の記録文学を媒介にすると、それ以上のつながりが垣間見える。アメリカン・モダニズムの想像力によって「新世界」の歴史を捉えなおす詩的散文集In the American Grain(1925)で、ウィリアムズが高く評価した植民地時代のイエズス会神父Sebastian Raslesは、アメリカ北東部(メイン奥地やケベック)を居住地としていた先住民アベナキと生活をともにし、彼らの言葉を習得して最初の辞書を作った人物で、その辞書は奇しくもソローがメイン州奥地探訪記The Main Woods(1864)に残した先住民の言葉の解説や語彙集の情報源として言及されているのである。拙著『アメリカ・インディアン・文学地図』(2012)で展開したウィリアムズ論では、20世紀同時代における『アメリカ人気質』の文化史的な意義を探り、現代批評の文脈において再評価することに力点をおいていたが、本報告ではラール神父を結節点とする二つのテクストを主な対象にして、ウィリアムズとソローの関係性に分け入ってみたい。


III.    特別講演

司会 堀内 正規 氏(早稲田大学)
演題  無心のアーティスト──芭蕉・・・ソロー・ジョイス・ケージ
講師 今福 龍太 氏(東京外国語大学)

 コンコードの森を生涯かけて歩き回り、感覚を彷徨わせ、地形や動植物、周囲の風景や物音を研ぎ澄まされた五感だけを頼りに無心に受けとめたソロー。ソローの、この個人的意図を離れた「無心」を一世紀の後に引き継ぎながら、音とことばの森を特異なオプティミズムをもって逍遥した作曲家ジョン・ケージ。ソローの日記を霊感元にしてケージは“Mureau”や“Empty Words”といった偶然性の音楽作品を創造し、ソローのデッサンをもとに不思議な絵画やグラフィック・スコアを描いた。ケージを媒介にして、20世紀の前衛的な芸術思想にソローはいかなる貢献をしたのか。それは、芭蕉からジョイスに至るミニマルで偶有性に彩られた言語活動の水脈といかに関わっているのか。東西の300年間の歴史のなかに現われた「無心のアーティスト」たち。その隠された系譜のなかにソローをあらたに位置づける試み。

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